NetWind

風の吹くままネットの旅
CALENDAR & CLOCK
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     
<< July 2017 >>
LATEST ENTRIES
RECOMMENDED ITEMS
Free Culture
ローレンス・レッシグ , 山形 浩生

発売日 2004/07/23

CODE ― インターネットの合法・違法・プライバシー
ローレンス レッシグ, 山形 浩生, 柏木 亮二

発売日 2001/03/27

コモンズ
ローレンス・レッシグ , 山形 浩生

発売日 2002/11/30

ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス
レベッカ ブラッド, Rebecca Blood, yomoyomo

発売日 2003/12
Sheryl Crow
Sheryl Crow

発売日 1996/09/24


While You Can
Lucy Woodward

発売日 2003/04/01

Hotel Paper
Michelle Branch

発売日 2003/06/24

スリー・キングス 特別版

発売日 2002/04/05

エリン・ブロコビッチ コレクターズ・エディション

発売日 2003/10/22

SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACKS
CATEGORIES
ARCHIVES
LINKS
PROFILE
OTHERS
paperboy&co.
ブログのレンタルサービス JUGEM
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | ↑PAGE TOP
塀の中の障害者の問題
essaさんのところに面白い記事が載っているので、少し読みふけってしまった。矛盾した仕様のなかでもがき続けるのはessaさんのような技術者の役割なので、頑張ってくださいとしか言えない。「無断リンク禁止」については、これは難しい問題なのかな〜。rir6さんのこのエントリ、結論には同意しかねるが、正直に言うと、rir6さんの感じていることに共感できる部分もある。メンタルヘルス系(この言葉、嫌だな)のサイトをわざわざ、悪意を持っているとしか思えない(少なくとも僕にはそう思える)取り上げ方をする人がいるのも確かだ。でも、その解決が「無断リンク禁止」することだと言われるとちょっと、困ってしまう。

rir6さんのこのエントリは、難解なのでよく分からないが、まあ、ようするに、こういうことではないかと思う。法律が、引用(およびリンク)を認める理由は、それによって活発な言論活動をもたらし、さまざまな意見が議論され、より良い集団的意思決定のため(学問の発達も基本的にはこのためにあると思う)に有益だという考え方が根底にあるように思える。僕も、たぶんその面から法律が保障するこの権利を軽く扱うことは出来ないように思える。ただし、「別に集団的意思決定のために意見を書いてるわけじゃない、私の今思っていることを誰か分かってくれる人に、分かって欲しいんだ。分かってくれない人は無視してよ。」っていう人もいるかもしれない。

その人たちに「無断リンク禁止」の権利を与えて上げたら?って、一瞬思ってしまうけど、「分かってあげられないけど、無視できない」見解だったら?メンタルヘルス系のほとんどは、分かってあげられないならそっとしておいてあげたらいいと、僕は思うけど、わざわざ取り上げる人にとっては、「受け容れられない考え方(=批判すべき考え方)」なんだろうね。実際、僕にも「受け容れられない考え方」というものは存在するから、誰がどこで「受け入れられるか、受け容れらないか」を線引きするかを、押し付けることも出来ない。僕だって、いつなんどき「受け容れられない考え方」のサイトを発見するとも限らない。そのときは「無断リンク禁止」なんてナンセンス!って、法律を盾に叫んでいるかもしれない。

あれ?どっかおかしいよね。メンタルヘルス系のサイトに書かれていることだって、この世の中にある(たとえ少数だとしても)意見のひとつだ。たとえ、それがリストカットしたいという気持ちだったとしても。それを取り上げて、理解し、社会をよりよくしていくためには重要な意見の表明のはずだし、誰だって無視して欲しいなんて思ってない。そのような意見をきちんと社会全体で吸い上げることができるように、引用の自由があるのだと思う。でも、悪意に満ちた(と僕が思うだけだけど)批評は、その人が病気だとしたら、それを悪化させる可能性がある(と言われている)。それを止めたいという欲求は、正常なものだと思う。が、結論が「無断リンク禁止」であるべきかどうかは、議論の余地があるように思える。技術的解決があるのかもしれない。
僕たちは、ほんとうにweb上に生きていて、web上の情報には簡単にリンクできるので、紙媒体の情報を引用するのが面倒になりがちだ。でも、ちょっと目にとまったので面白いものを紹介したい。以下は、僕の専門ではないので、間違った理解、解釈が含まれているかもしれない。その点はご理解いただきたい。また、コピー&ペーストでなくて、引用文は手で打っているので、typoは許してね。

東京弁護士会が発行している『法律実務研究』という雑誌がある。まあ、普通の実務者向けの論文雑誌だ。掲載論文のほとんどは弁護士さんが仕事の合間に執筆したもののようだ。その2005年3月号(第20号)に「知的発達障害者の実践的刑事弁護」という論文が掲載されている。誤解のないように書くと、タイトルからも分かるとおり、これは知的発達障害者が刑事告発された場合、その弁護を如何にすべきかという実践的なノウハウをまとめられたものである。

内容は、すでにメディアでも報道されているようなので、それほど驚かない人も多いかもしれないが、僕は少々驚いてしまった。北海道文化放送が放送した「塀の中の障害者たち」という特集番組の内容紹介から、この論文は始まっている。
「知的発達障害者の実践的刑事弁護」『法律実務研究』(2005)
カメラで撮影された受刑者の人たちは、明らかに「普通」の人たちではありません。重度の老人痴呆症や重度の知的障害や自閉症障害といった、とにかく刑務所の中で集団生活や懲役活動ができないために、刑務所がやむなくつくった特別の場所に隔離され世話されてる人たちです。そしてそこに入れられている人たちの犯罪といえば、無銭飲食をはじめ、置き引き、窃盗、暴力行為等の微罪が中心です。出所(身元引受人がいないため満期)を迎えるひとりの受刑者は、知的障害を持つ元ホームレス(男性、四六才)で、図書館で職員と口論となり、傘でつついたことで暴力行為とされ、懲役一年一〇月の有罪実刑を受けた人でした。その人は入所判定の知能指数は三〇というのです。刑務所(看守長)はそのIQ三〇の人をさして、「軽度の知的障害」とごまかして説明していましたが、IQ三〇の人は重度の知的障害で精神年齢で言えば四〜五才とされている人です。自分がどこにいるのか、なんのために入ってきたのかすら分からない人たちといえます。画面の中で取材した記者から「どうしてこの人たちが刑務所に入っているんでしょうか」という質問に、担当刑務官は<それは裁判で決まったことです。判決ですからいたしかたない>と答えていました。
元国会議員で、元受刑者の山本譲司さんが書いた『獄窓記』では、このような受刑者の世話係をしていたことが書かれているそうだ。論文では、『司法矯正統計年報』から推定される数字として、約7%の受刑者が中程度以上(IQ四五以下、論文では「IQ五〇以下はまず訴訟能力がない、裁判にフィットできないというのが実務だ」というアメリカ・シカゴの検事の言葉が紹介されている)の知的障害を持っている可能性があると指摘している。この推定された数字は少々問題があるかもしれないが、とりあえずある程度の受刑者が裁判に耐えうる知能を持たないまま、裁判を受けている可能性を示唆している。

なぜこのようなことになっているのか? 論文では、法律的な側面と、ある程度医学的な側面から詳細に分析している。その中で示唆されていることは、このような知的障害者にはコミュニケーション能力に大きな欠如があり、正当な裁判を受けることなく有罪実刑判決を受けることが多いというものである。実際の弁護の方針としては、責任能力をめぐって刑法39条の適用を求める弁護は、実務上非常に困難であり、コミュニケーション能力、概念的思考能力の欠如から、自白の任意性・信用性を争う、あるいは訴訟能力をめぐって争うことを勧めている。

これだけ言われても、なぜそういうものなのか分かりにくいと思うが、知的障害者の人たちは取調官の取調べにNOといえず、障害を利用されつけ込まれて<疑似体験>をすりこまれてしまうことが多いという。
「知的発達障害者の実践的刑事弁護」『法律実務研究』(2005)
まず、この人たちの場合、取調官の追求する被疑事実の“自白”からはじまります。弁護人が警察署(留置所)にかけつけた段階(逮捕直後)で、取調官のストーリーにそう“自白”がつくられています。ただ本人は取調官のいう通りに「自白」したんだから、すぐに釈放され「おうちに帰れる」と信じ、早くでたいことを訴えたりします。現行犯の場合は、確かに逮捕された被疑事実はあるといえるのでしょうが、しかし、はたして犯行動機なり態様、そして故意は、取調べで自白した通りかどうかは大変疑わしいものといえます。弁護士がやったかと聞けば、やったと、どうしてと聞けば、ムシャクシャして、どうだったかと聞けば、すっきりした、と答えてはきます。しかし、そのムシャクシャとはどういうことなのか、すっきりしたとはどうんなことか、どういうふうにそうなったのか、その犯行の前後関係を細部から、そしてはじめと終わりの状況と予測を問いただせば、<わからない>となることが多いものです。
弁護士さんからすれば、コミュニケーション能力の欠如した依頼人の仕事というのは、一筋縄では行かない大変さがあるのだろう。このような人の弁護には、普通の人の数倍の時間をかける必要があると、論文では書かれている。さらに、そのことを法廷で裁判官にみせることが重要だと指摘している。

知的障害や自閉症は、現在でも精神医学の研究の発達により、病気の定義が変わってきているようにみえる。かくいう僕も「高機能自閉症」、「アスペルガー症候群」、「自閉症スペクトル」という言葉を知っていても、正しく理解しているかどうか心もとない。さまざまな症例があるということしか、分かっているとはいえない。社会に適応しにくい病気を抱えた人が、社会に適応できない行動をおこし(多くの場合は僕たちはそれを犯罪と考える)たとき(あるいはその容疑をかけられたとき)に、僕たちはどのように対応したらよいのだろうか。犯罪の被害に遭われた方からすれば、彼/彼女は病気だから、のひとことで済まされてしまうことへの憤りもあるだろうから、簡単な問題ではないようにも思える。とはいえ、現状を見て見ぬ振りをすることも難しい状況のようだ。
| 気になること | 00:48 | comments(2) | trackbacks(1) | ↑PAGE TOP
スポンサーサイト
| - | 00:48 | - | - | ↑PAGE TOP
コメント
この件、記事にするのにかかりそうなので、
簡単に考えてる事を。
rin6さんの話って、一時期、さんざん論じた
「倫理・道徳に期待・依存した問題解決は効率が低い」
って話じゃ、ないかなって。
確かに、そういう「満たされるべき動機」はあるとして
そのために、人々の倫理・良心に依存するのは
難しいのではないか(そして、それを批判しても効果は薄いのではないか)
そんな事を、ぼんやりと考えています。

しかし、
この記事の「塀の中の障害者」の話は、酷いですね。
私、分からないんですけど
怒って傘でつついた程度で、それほど長い懲役が執行猶予も付かずに出るのかなって。
明らかに、健常者に照らして考えるとオカシイ判決を出して
警察や検察、被害者の側は、良心が傷まないのだろうか?
って、
こういう考え自体が「倫理・良心に期待」したものですけど(笑)
| めたか | 2005/07/17 8:39 AM |
めたかさん、コメントありがとうございます。

> rin6さんの話って、一時期、さんざん論じた
> 「倫理・道徳に期待・依存した問題解決は効率が低い」
> って話じゃ、ないかなって。

その通りかもしれません。そして、「効率が低い」という結論も、僕も(もちろん)そう思います。

でも、興味深いことに(注意深く書かなければならないのですが)、rir6さんは、rir6の倫理観を受け入れない人たち(rir6さんの視点から見れば、倫理に欠ける人たち)に向かって、「倫理に基づいた対話」をすると宣言していることが、この対話が悲劇的に成功していない面を、象徴しているように見えるのです。

「塀の中の障害者」の話は、僕自身、初めて知ったことなので、情報を消化できないままに書いていますが、この論文では障害者であることが、より「厳罰」を受ける原因になっているという見方が示されています。ただし、ありえることだと思いますが、実証的に示されたものではないので、本当にそうかどうかは、よく検討する必要があると思います。全ての裁判がそうだとはいえないと思います。そう信じたいですね。

このようなコミュニケーション能力に障害がある人々は、裁判所や検察としても扱いにくいと感じてしまうのかもしれませんね。犯罪に対する厳罰化の方向が強い現在では、改善の期待が薄いように思えることが、残念な気持ちにさせられます。
| netwind | 2005/07/18 12:09 AM |
コメントする









この記事のトラックバックURL
http://netwind.jugem.cc/trackback/210
トラックバック
「無断リンク禁止」はローカルルールにはなり得ない
「無断リンク禁止」って ローカルルールにはなり得ないものだって 思うんです。 せいぜい「お願い」でしか、ないでしょって。
| at most countable | 2005/07/27 12:36 AM |